三浪の忘れ物サミット

世の中の忘れそうな、わざわざ考えるほどじゃないことだけ真剣に考える

浪人は馬鹿にされるのかと劣等感にさよならするために

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「浪人は馬鹿にされるのでしょうか?」

そんな質問をちょいちょいされますので、答えていきつつ、馬鹿にされたとしても苦しくならないように、三浪で私立文系に入ったというなかなか馬鹿にされるスペックを持った僕が実際に実行した劣等感の克服方法まで書いていこうと思います。

浪人して大学入ったら馬鹿にされるのか

答えは「はい」です。

これはいくつか理由があり、

  1. 相手が性格悪くて隙あらば人を見下す
  2. イジられてるだけでも自分が馬鹿にされたと受け取る
  3. 違う原因があっても浪人のせいで馬鹿にされたと思う

基本的にはこの3つに大別されます。

1.相手が性格悪くて隙あらば人を見下す

1が一番しんどいと思いますが、やはり、大学生もまだまだ皆若いので、他者の全てを受け入れる価値観は完全には醸成されていません。偏見にまみれた社会の価値観で育ってきた子達にいきなり、聖人のような愛を持って浪人に接しなさいという方が酷な話です笑

したがって、性格悪いなと思う人も大学に入ればある程度いると思います。それが、社会的ステータスにとらわれがちな人の多い大学ではなおさらだと思いますし、逆に学歴にコンプレックスを持った人が多い難関じゃない大学の方が、出会う確率高いのではないかと思います。

僕がツイッターなどで他大の浪人から相談を受ける限り、大学によっては、浪人が下に見られる風潮やはりあるようです。

その点では、僕のいる早稲田大学は、留年や最低限の人間的生活すら危うい人もうじゃうじゃいるせいか、浪人ごときでは下に見られないです笑

そんな留年や麻雀廃人なども、「その生き様面白くていいね!真似したくはないけど!笑」と1つの個性として受け入れてもらえる風土があります。

少なからず、こういった考えを持った人達はどこの大学にもいると思います。

大事なことは何人も他人の人生を否定する権利はないってことです。

したがって、性格悪くて馬鹿にしてきた人がいた場合は

「あーこの人、まだ狭い社会的価値観にとらわれてる…かわいそうだな…」

と同情するくらいに思ってあげた方がいいです。というか僕は正直ネットなどで学歴厨を見るとこう思っています。おそらくこんな考え方をしてしまうような価値観にとらわれ続けている方々の頭だと、その人自身も学歴的にいうところの「馬鹿」の部類に入ってしまうのではないかと、心配になるからです。

その人達も含め、皆が下手な社会的価値基準、偏見から解放されて幸せになることを願います。

2.イジられてるだけでも自分が馬鹿にされたと受け取る

これも結構多いと思います。

人によっては、他人を下げるような笑いの取り方は好きじゃない、と言うと思いますが、正直僕は容姿の悪口など小さい頃から無限に言われてきたので、三浪!とか言われたくらいで嫌な気持ちは1ミリもしないです。むしろ僕の個性を知ってくれていて嬉しい。

これはおそらく劣等感から来るもので、他者の言葉に敏感になり過ぎています。したがって、自分自身が浪人への劣等感、コンプレックスを治すことで、浪人を1つの個性と考えることができ、自然と他者からの言葉を「イジり」として自分も楽しめるようになると思います。

3.違う原因があっても浪人のせいで馬鹿にされたと思う

これがかなり厄介かなと思います。

人に何か言われたとき、例えば容姿や、考え方や、言動など様々。それを、自分が浪人だから言われた、と受け取るケースです。

こういった人も、浪人にかなりのコンプレックスを未だ抱えた人で、自分を客観的に受け入れることができなくなっているため、他者から何か言われてしまった時に、防衛機制として、心が相手のせいにし始めるのです。

「相手が偏見にまみれていて、僕が浪人したからって見下して中傷してくる」と。

こういった人もぜひ自分の浪人に劣等感を抱かず、ただの事実として受け入れてほしいです。そうでないと、他者に指摘された、本当なら直すべき点まで認められなくなり、人としての成長が止まります。

浪人の劣等感を克服する方法

大事なことは自分自身が浪人をコンプレックスに思わないこと

これに尽きます。

たしかに最初は難しいと思います。

僕も思い返せば、2浪3浪の頃は、家から出て人に会うのが怖くて怖くて仕方ありませんでした。自分が社会の最底辺だと思っていたので、自分より遥かに上の存在の人達に会ったら、他者という鏡に写る自分をまじまじと認識せざるを得なくて、死ぬほど苦しかったからです。

これこそ劣等感の塊だったと思います。

しかし、浪人したところで人間的価値が下がるわけではないです。勝手に自分で自分の価値を下げていただけだと気づきました。

「浪人した自分は価値の低い人間」という考え方は、他者に対しても「浪人した君は価値の低い人間」と見なすことにつながります。

そんな考えに到った時、自分は他者にも、自分にも、とても失礼な価値観にとらわれていたなと目が覚めました。

浪人している自分を、良いも悪いもなく、「学力が足りず志望校に届かなかった人間」という事実として受け入れる自己受容ができてくると、他者に「浪人w」と笑われても、そこに良いも悪いもないため、1つの個性として楽しんでもらえてるという認識になり、自分も嬉しくなります。

うまい棒見て「うまい棒www」と言っている人を見ても嫌な気分にはならないですよね。

うまい棒という存在自体に良いも悪いもない。そういうことです(?)

そのため、僕は大学でも積極的に三浪を自己申告してネタにしています。

周りからは「三年お部屋で溶かしてまで京大目指した変な人」みたいな認識だと思います。

学力が弱いとか、確かに思われてるかもしれませんが、僕としては死ぬほどどうでもいいです。

今大学受験のステージにいる人達にとっては、他者に自分が量られる尺度として学力ばかりで見られる世界にいるため、自分の価値を学力で推し量ってしまうかもしれませんが、大学以降のステージでは、そんなつまらない尺度だけで人の価値を判断する短絡的な人はほとんどいません。

それこそネットに沸いている学歴コンプレックスをこじらせた学歴厨くらいだと思います。

なので、多くの人は浪人をネタとして、面白い1つの挫折経験、個性として見ているだけです。

自分自身をありのまま受け入れて、他者をありのまま受け入れて、そんな認識に変えていくと、外的要因に左右されないメンタルになれると思います。