三浪の忘れ物サミット

世の中の忘れそうな、わざわざ考えるほどじゃないことだけ真剣に考える

“彼女ほしい”と“成蔵行きたい”は何回唱えようが叶わない

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「成蔵行ってみたいよねぇ~」

成蔵(なりくら)というお店を知っているだろうか。

これは一人の三浪が、高田馬場にある超人気とんかつ店「成蔵」に行ってみたいと3年間言い続け、結局行かなかった物語である。

成蔵とは

成蔵とは、高田馬場駅を出てBIG BOX沿いに坂を3分上がったとこにある超人気とんかつ店だ。

食べログの評価は4.12、口コミ件数は実に1064件にのぼる。日本で見ても有数の超名店がなぜか高田馬場にあるのだ。

そんな成蔵は当然早稲田生の間でも広く知られており、早稲田生が4万8000人いるとするとキャンパス内でミクロ経済について語り合う学生がおよそ7人、

成蔵について語り合う学生が3万人いるだろう。

「今度成蔵行きたいよねぇ~」

「ね!今度行こう!」

その会話はサークル、学部、人種、あらゆる壁を越え、学生達の心を繋いだ。

そして、僕もまたその一人である。

とんかつは、全ての人間の前に平等であった。

プロスペクト理論から考える成蔵

しかし、成蔵は大きな問題を抱えていた。

めちゃんこ並ぶんである。

もうすっっごい。

いつ見ても並んでる。

待ち時間はなんと2時間待ちもざらなので、日によってはタワーオブテラーより並んでいる。

したがって、ディズニーシーはタワテラの一帯をまるまる成蔵に変えても大した問題は起きないだろう。

僕は絶叫系も落ちることももうウンザリなので差し支えない。今度オリエンタルランドの内定者に本気で提案しよう。

話を戻す。

成蔵が2時間待ちであることを知ったとき、人は何を思うだろうか。

「なるべく早く行こう!」だろうか。

「それだけ美味しいってことだよな!」だろうか。

否。

「また今度でいいや(鼻ほじ」

これである。

人間は今から2時間並ぶなら家帰ってさっとラーメン食べよ~と思ってしまう。

そう。これは多分プロスペクト理論。進研ゼミでやったところだ。

人間は利益と損失、両方の可能性があるとき、目先の利益に弱く、損失は後回しにしやすい。

2時間並ぶ、という損失の先にどんな利益があろうと、目先の直帰ラーメンを選んでしまう。

並ぶ時間や代金のコストと得られる効用の均衡点は〜などというミクロ経済よりもここでは心理学、行動経済学の方が実際的だろう。

なるほど。だから学生達はミクロ経済より成蔵の話をしているのか。

早稲田政経はお偉いさん方の権力の関係か、行動経済学の講義が異様に少なく、かつその講義も外部講師に頼っているうえ今年で退任となってしまう。

学生達が古典的な学問に辟易して成蔵に心酔する気持ちにもうなずける。

愚痴が出てしまった。卒業取り消しは気をつけたい。早稲田大好き!

成蔵は結局ディズニー

人間の判断はどんな時変わるだろうか。

おそらく、他者だ。他者との合意形成は当事者に冷静な判断を助長し、プロスペクト理論の沼を凌駕していく。

「今度成蔵行こうよ!」

この一声をかけてもらえるだけで僕は、簡単に成蔵に行く決意を、

ん、、、?

決意を、、、?


——この世界には2種類の人間がいる。

初デートでディズニーに行けるコミュ力強者と行けない弱者だ。

そして僕は、、、言うのも野暮である。

その刹那、成蔵の前提条件を思い出した。

成蔵は、タワーオブテラーだ。(精神論)

2時間待ちなんである。

一体どれだけの人間が僕との2時間もの立ち話を楽しく過ごせるのだろうか。

そう思い、僕は何度だって決めゼリフを吐き捨てた。

「いいね!今度暇な時行こう!」

以降、僕に暇な時が来ることはなかった。

成蔵と彼女は失って気づく

結局僕は、3年生の終わりまで、「今度でいいや。」「暇な時行こう!」を繰り返し、成蔵に行くことはなかった。

そして、2019年3月21日——

成蔵は、閉店した。

知らせは早稲田中を駆け巡り、衣替えの季節にその光り輝く衣も姿を消した。

脳内ではサクッという歯切れのよい音とともに零れだす肉汁が、走馬灯のようにフラッシュバックする。

そんな思い出ないけど。行ってないから。

僕の心にはポッカリと穴が開いた。向かいのホームにも路地裏の窓にもとんかつはいない。

こんなにも切なく、途方もなく求めているのに。

目移りして、馬場にある食べログ評価3.91のとん太を食べたこともあった。

それでも、違うんだ。

君じゃなきゃダメなんだ。

今になって、失って初めて、僕は気づいた。

心から、成蔵が好きだった。

もう成蔵は帰ってこない。

どれだけその大切さをかみ締めても、肉汁1つ出てこない。

思えばいつもそうだ。

僕はこれまで、幾千もの「成蔵行きたい」「彼女ほしい」という言霊を紡いだそばから黄泉の国へ垂れ流してきた。

吐露流しという行事か何かかと錯覚さえする。

結局言うだけで満足していたのだ。本気で思おうとしていなかったのだろう。

僕らはいつだって、痛みを伴わないと変わることができない。

しかし、逆に言えば、痛みを伴った分だけ、人は変われるのだ。

また1つ、僕は変わることができた。

欲しい未来は、

本気で掴みに行こう。


追記:どうやら成蔵は消えたわけではなく、南阿佐ヶ谷に移転したらしい。

ふむ。なるほど。


また今度でいいや。