高輪ゲートウェイ大好きなんですがそれは
高輪ゲートウェイ「生れて、すみません。」
高輪ゲートウェイが剛力彩芽のデビュー曲くらいフルボッコされている。高輪ゲートウェイは口パクしてないし月にも行かない。
「ナンセンス」「歴史を壊すな」「ダサい」「時代遅れ」「おじさん世代」「語感が悪い」
という世論、
の中大変言いにくいが、
僕はこの名前を好きになってしまった。感性の終わりか。そんなにおじさんか。
なので、僕が高輪ゲートウェイに好感を抱く原因を解明する。
多分途中から意味がわからなくなると思うが、2割くらい僕の気持ちを理解してもらえたら嬉しい。
高輪ゲートウェイの現状
当初からボロクソ言われていたが、ついに5万名ほどの署名まで集まった。
https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/kirakira-gateway
能町さんは「選定の経緯が不透明であること、名称で歴史を踏まえておらず、語感も悪いこと」を理由に、発表の4日後から撤回を求める署名を始めた。
「こんなに世間の人が嫌がっていることが、何も言わないと通ってしまうのかと感じて、後先考えずに署名を立ち上げました」
もうすごい。1つの固有名詞がこれほど人類に憎しみを生む。ある意味どんな兵器より恐ろしい。
なのになぜ僕だけ高輪ゲートウェイを好きになるのか。
僕が高輪ゲートウェイを好きになってしまう理由
フルボッコすぎて共感できる
共感してしまうのだ。僕が三浪だからか。ひとたびyoutubeに出れば「ポッキー食べるの遅えよ」と謎に怒られる僕はシンパシーを感じる。
きっと、言霊が本当にあるのなら、高輪ゲートウェイに魂が、ゴーストが宿っているなら、あいつも好んで高輪ゲートウェイとして生まれたわけじゃないと言いたいだろう。
もしあなたが学校、会社の人に突然肩を叩かれ
「君の名前ダサすぎ、皆嫌がってるから後先考えず5万人の署名集めた。変えよう」
などと言われたらどんな気持ちになるか。
想像すらつかない。
当然だ。ありえないし。そもそもなんだこの仮定。
それでも、無理やり生み出され、こちらの事情で消されるとしたら、高輪ゲートウェイには憐憫を、物語を抱かずにはいられない。
今思えば幼少のナウシカが背後に守っていたのが高輪ゲートウェイだった気すらしてくる。
計算し尽くされた語感の妙
能町さんは語感悪いと仰ってたが、これは本当に悪いのか。
高輪ゲートウェイ
高輪ゲートウェイ
めちゃ良くないか。何度も言いたくなる。
勘違いか?僕だけ感性おかしいのか?いや多分理由がある。
これはおそらく、高輪ゲートウェイは言葉ではなく歌だからだ。
意味がわからない。多くの人がそう言うだろうが、僕もよくわからない。
弁解の時間がほしい。少し楽譜に変換してみる。
大体の人が高輪ゲートウェイを言うとき、たかなわが8分音符、ゲーで4分音符、そしてウェイを最後に添えるだろう。
符割りの緩急
ということで高輪ゲートウェイを楽譜にすると多分こんな感じ。
どうだろう完璧なリズムである。8分音符4連打でリズムを定義づけ小気味よく始まったかと思えば、単調になる手前でゲーが入り緩急をつける。
あのドン・キホーテのドンドンドン、ドンッキーの歌だって3回目のドンで一度休み緩急をつけている。あの休符がどれほどの仕事をしているか計り知れない。
人は一定のリズム、縛りを求める一方で、そこから抜け出したいという欲望にも駆られる。そんな自由と縛りを完璧なまでに体現しているのがドンキホーテ店内である。ジャングルだ
子音による抑揚
さらに、たかなわも巧妙な抑揚。同じ音符の連続でどう抑揚かといえば、子音である。「た」「か」はどちらも閉鎖音(p, t, kといった鼻腔口腔を完全閉鎖する発音)であり、非常に強い子音である。
そんなたかの次に来るのがなわ。こちらには破裂音が一切なく、弱となっている。
この高輪の強弱から、更に濁音交じりのゲが強く来て強弱強のとても綺麗な抑揚になっている。
そしてこの次に待っているのが「ト」
こちらの「ト」は、英語本来のgateのアクセントと同じく、語尾のtは弱くなっている。
小節内における強弱の決まり
さらに元々人間の脳は四拍子の音楽を聴いたとき、1小節を4分割して強弱強弱という風に感知する。
したがって、この「なわ」と「ト」は小節内を4分割した際の弱の位置であり、発音的にも楽譜的にも弱という完璧な配置、ダイナミクスな模様。
他の追随を許さないシンコペーション
そして、この「ト」の後に皆大好き「ウェイ」がくる。
作者の慧眼に脱帽。
ここまで、高輪、ゲートという区切りは常に8分の表拍で行われてきた。しかし、最後の最後、ここにきて新しいウェイという句は裏から入っている。(ちな、8分で刻む時も裏拍4つは全て弱拍とされる。)
流石のウェイ。こんな型破りの登場僕にはできない。
この期待の裏切られ方は人間の耳からすると死ぬほど心地よい。
あのドン・キホーテの曲だって、ドンドンドン、ドンッキーと、それまで表拍ゴリ押しだったリズムに突如現れる「ッキー」が裏拍でしゃしゃってくるからたまらないのだ。
そのうえ、今回の高輪ゲートウェイはウェルでもなければウェスでもない。ウェイなのだ。これはウェーと伸ばせる。
つまり何が起きるかといえば、小節またぎのシンコペーション。
本来弱拍にある8分音符が強調され(場合によってはされないが)、後ろの音符まで食って延長する技法である。
課題のため借りた本を返すのだるくて何度も返却期限延ばしてる僕もある意味シンコペーションである。その単位は落とした。
あのドン・キホーテの曲だって、ドンドンドン、ドンッキー、ドンキー、ホーテーの最後テーは裏拍にアクセントを置きそのまま次の小節の1拍目を食うシンコペーションに(ちょい違うけど)多分なってる。ドンキホーテがいかに名曲かわかってきただろうか。
ドン・キホーテの歌 Theme of Don Quixote
そしてドンキホーテと向こう100年間双璧をなすのが高輪ゲートウェイということだ。褒めてる。
一体この駅名を創った人はどれほどの作詞家、策士家なのか。
子音の使い方に精通し、意味的な言葉の分かれ目にも気を配り、譜面的な強弱の理解、リズムの配置、裏切り方、ドンキホーテを熟知したうえでないとこの最適解には辿り着けない。
その答えが、
「高輪ゲートウェイ」
どうだろうか。高輪ゲートウェイ。何度言っても飽きない。中学の頃スリランカの首都を知った時くらい何度でも言いたくなってこないだろうか。こないか。
全てまとめた強弱は、こんな感じになると思われる。
まとめ
最初はカルチャーショックで受け入れ難かったけど、何か時間が経つと憎めない愛されキャラになってくる。高輪ゲートウェイは、そんな、ローラみたいな、りゅうちぇるみたいな、IKKOみたいな、志茂田景樹みたいな、楳図かずおみたいな存在だから僕は好きになってしまったのかもしれない。
語感が良い悪いでいえば、今回の結果から死ぬほど良いのではと思いますし、ひょっとして結論ありきでdisられてる部分あるのではと。
とにもかくにも、もう僕は高輪ゲートウェイなしでは生きていけない体になってしまいました。どうか僕から高輪ゲートウェイを奪わないでください。
ちなみに、楽譜の音符の高低メロディは、ブルーハーツの「1000のバイオリン」の歌い出し、ヒマラヤほどの、をパクりました。リズムが似てたので。それくらい語感よく覚えやすく、口ずさみたい符割りなんでしょうかね。
おわり