いちご大福の起源の話
4月15日はいちご大福の日だった。
誰も興味ないかもしれないがいちご大福の誕生について話したい。
いちご大福の導入
いちご大福という和菓子がいつ生まれたかご存知だろうか。
明治?江戸?
正解は、およそ1980年代です。思ったよりお若い。
つくづくあの食べ物は得体が知れない。日本人のほとんどはいちご大福を知っている。僕が早稲田大学いちご大福研究会の代表をしていた頃も、いちご大福って何?という会話をしたことは1度もない。
しかし、いちご大福食べたことある?と聞くと、3割くらいが食べた記憶ない。
(それでも入会する人が多く、いちご大福嫌いと言う人すら入会する謎は、闇が深そうなので割愛する)
そう考えると一体いつ、どうやって、市民権を得たんだお前は。歴史ある和菓子みたいな顔して。
※以下の記事は僕個人の見解であり以前在籍したサークルの総意ではありません。
いちご大福の起源
いちご大福の起源は実は明確ではない。最近生まれたにも拘わらず。本当に謎なお菓子。
ではなぜ1980年代生まれといったかというと、現在有名どころでは7店舗ほど、元祖を名乗っているお店があるからです。何というか、切ない話。そんなニッチな戦争しなくても。
わからないなら調べるか、と僕は以前、その各店舗に、個人的に(もはやサークル関係なく)お問合せしてどのようなスタンスなのかお聞きしたことがあった。(僕になぜそんな情熱があったかは謎)
その時の調査結果が以下の通り。(以下各店敬称割愛)
東京都板橋区「一不二」
→昭和58年(1983)(現地インタビュー)
滋賀県大津市「松田常盤堂」
→昭和60年(1985)にはあった(電話)
東京都新宿区住吉町「大角玉屋」
→昭和60年(1985)2月6日(公式HP)
群馬県前橋市「金内屋」
→昭和60年(1985) ※閉店した模様で真相は闇の中
三重県津市「とらや本家」
→ 昭和61年(1986)2月13日(津市公式HP)
岡山県倉敷市「甘月堂」
→昭和63年(1988年)(公式HP)
三重県伊賀市「欣榮堂」
→そもそも元祖って言ってないから(電話)
結果的に、僕が調査した限りでは「一不二」が元祖。
ここで、一不二の店主さんに現地でインタビューした僕は衝撃の証言を聞いた。
一不二の店主さんがかつて、いちご大福を発明した際に、埼玉に店舗を構えつつ大角玉屋にも出稼ぎに来ていた同業者Aさんと知り合いだったらしく、その人にいちご大福を大角玉屋の方で販売されたらしい。
どうも当時の大角玉屋は、代表する商品もなく採算が厳しく、新しい商品を模索していた。そして、そこに出稼ぎに来ていた同業者Aさんは、一不二の店主さんとも繋がりがあり、いちご大福について知り、大角玉屋で売った模様。
しかし、ここまでならまだ思い出話で終わってもいいのだが、ここから話が進展する。
この大角玉屋の店舗が新宿区住吉町あけぼの通りにあり、当時フジテレビがお台場ではなく、新宿区曙橋の近くにあったため、フジテレビの城下町と呼ばれていた立地だった。
その結果、大角玉屋のいちご大福が先にフジテレビに目をつけられ、黒柳徹子さんが司会をしていたザ・ベストテンで紹介され、1987年に知名度が爆上がりした。
そこから2匹目のどじょうを求めて多くの和菓子屋がいちご大福を販売し始め、いちご大福は市民権を獲得したと思われる。
そして、大角玉屋は今も元祖を名乗り、「元祖いちご“豆”大福」という商品を販売している。
僕は、なんというか、勝手に悔しくなった。自分の創作物が正当に評価されず日の目を浴びない、そんな一不二の店主さんにどこか感情移入してしまい、「その事実を公言しないのですか?」とお聞きした。
すると一不二の店主、三谷さんは笑って答えた。
「別にいいよ。大角玉屋の店主には『適当なの作らず美味いいちご大福を作れ』とだけ言った。そうすればいちご大福が美味しいと有名になり、ウチのいちご大福も売れるから。」
僕は不覚にも泣きそうだった。意味がわからない。なぜいちご大福に泣かされそうになっているのか。
それでも、1人の和菓子職人が苦心の末に創り出した、和菓子に果物を包んだ画期的かつ未来的な食べ物とその職人の美味しいものを作ることだけにひた走る姿勢に、心からのリスペクトを払わざるを得なかった。
残念ながら、一不二の店主さんは、かなりご年配で、今はもう閉店してしまった。
歴史的に見てもこれほど重要な和菓子屋さんですら後継人不在で閉店してしまう現状に、日本の食文化が今後ぶち当たるであろう問題を目の当たりにしている。
もちろん、これは各店舗に言い分があるため、事実とは異なるかもしれない。
事実、大角玉屋は元祖いちご“豆”大福として販売して製造法に特許を持ち、一方の一不二は『元祖 羽二重いちご大福』として実用新案登録を取得している。
ちなみに、大角玉屋のいちご大福を発明した方は
私が“生んだ”商品ではなく、時代やなんかに“授かった”商品だと思っています。和菓子に合わせたらおいしいと思う食材は、思い付いたら本当に何でも試しました。
とインタビュー記事でおっしゃってます。
結局、起源は未だ闇の中。おそらく永遠に真相はわからず仕舞いだろう。声の大きい“元祖”がネットを制する時代が来るかもしれない。
この記事も、一不二が元祖だと断定するものではなく一説に過ぎないのでご了承を。店主さんも僕が声を荒げることは本意ではないと思うので。
ただどうしても、こんな小話もあったと、後世に残さずにはいられなかったので記事を書きました。
誰か1人でも、この記事を読んで作り手の心に触れ、「いちご大福なんてwww」みたいな認識が変わることを願う。
おまけ:いちご大福の日について
4月15日はいちご大福の日として、ポッキーの日などを制定している日本記念日協会に認定されている。
昨年僕がワンチャンあると思って申請したら制定できた。多くの食べ物は、企業の商標登録が絡んでいるため、一般人に制定することはできない。
が、幸か不幸か『いちご大福』は商標登録されていなかった。原因は、上記のような理由で、元祖がわかっておらず、どの店舗も『いちご大福』として商標を登録できていないためだった。
僕が4月15日に『いちご大福の日』を制定した理由は、いちご大福に願いを込めて、更なる繁栄を本気で祈願したからだ。
ちなみに4月15日は「よい、いちご大福の日」という無理のあるゴロ合わせ。
1月5日がいちごの日、2月9日が大福の日であり、いちごのシーズンがギリギリ終わっていない4月中旬に記念日をもう1つ設けることで、12月~4月といういちご大福のシーズン全体で幅広く盛り上がる世の中になればと、したたかな考えからだった。
あのたまたま実施した謎のインタビューは「埋もれている人やものを正当に評価される舞台まですくい上げたい」という僕の就活の軸にも繋がる人生の契機であったため、非常に感謝している。まさに一期一会といったところ。