三浪の忘れ物サミット

世の中の忘れそうな、わざわざ考えるほどじゃないことだけ真剣に考える

あと24分以内に1記事書かなかったら坊主

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継続力のない人は何をやっても上手くいかない。

それがこの世界の真理だと、三浪の末僕は悟ったのだ。


どんなに夢見たって、どんなに思いが強くたって、思いは思うほどかえって重くなり、行動に移しづらくなる。

そうやってまた夢は遠のいていく。そんな繰り返しの20数年間だったじゃないか。

そして、一大決心のように神に誓った。

「よし。ブログは毎日更新しよう。」

人生の全てを悟り切った瞬間だった。きっと、今ゴータマ・シッダールタがいたら、受験に失敗した末にブログで仏教を確立するに違いない。

モーセが今十戒の啓示を授かったとしたら、多分9個目あたりに「ブログは毎日更新せよ」と入っているだろう。

そのくらい、継続することは神秘であり、真理であり、尊いものなのだ。

それが今僕はどうだろう。

禁忌を犯しかけている。

日本時間で今日が終わるまで残り13分と12秒である。あれだけ継続力のない三浪はクソと自分で思っておきながら、また同じ過ちを犯すのか。

思えば一昨日「ファミチキ食べ過ぎてる。もうファミチキは当分やめよう」と思ったのに今日がっつり新発売甘辛味を食べていた気もする。

酒池肉林の限りを尽くし、悪習だけは継続し、意志ある行動は継続できない。

間違いない。僕は根が三浪だ。母のお腹にいた時から三浪なのだ。

おそらく第一声も三浪だったはず。

しかし僕は諦めない。運命は自分で切り開くものだ。決して自分は根っから継続できない人間だからなどと諦めるつもりはないし、適当に1000文字程度書いて1記事にすればいいだろうといった妥協をするつもりはない。

これまでだって京大に落ち、妥協して早稲田に来た。妥協して作曲家になる道を諦めた。妥協に妥協を重ね、このうえ、ブログまで妥協などするはずがないじゃないか。

よし、今日こそは完璧な、完全無欠な、どこに出しても恥ずかしくない、親の枕元に置けるような、そんなブログをしたためてやろう。

そして僕は2億年ぶりくらいに思考をフル回転させ、今日のブログのテーマを考える。

最近、浪人するか悩んでいる人が多いだろうからと、浪人系の記事を書きすぎているし、もう少し、雑多な記事を気楽に書いてもいいのではないか。

なんだ。この世界は、こんなにも自由なのか。そう思うと何だって書けそうな気がしてくる。

カンボジアで学校を立てる話でもしようか。したことないけど。

しかし、手がとまった。

自由過ぎる。。。

えてして人は自由を求めながら、自由過ぎると逆に動けなくなるのだ。なんともアマノジャクである。

そうだ。三浪していた頃も同じだったじゃないか。24時間365日なんだってできると思っていたのに気づけば何もできていなかった。

結局人は、「優しい束縛」があったくらいが、ちょうどいいのだ。

やばい、どうしよう!!!!
しみじみしている場合ではない!!!
今日が終わる!!!!!

うわあああああ!!!!!!!

あ、1000文字