三浪の忘れ物サミット

世の中の忘れそうな、わざわざ考えるほどじゃないことだけ真剣に考える

新海誠、文化祭の劇のノリで映画作ってる説

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話題の天気の子を観て来たのだが、新海誠はやり損ねた青春時代の学園祭を今楽しんでいるのかもしれない。


僕は夏休み入って初めての全休で、楽しみにしていた『天気の子』を観に行った。

場内は2割程度しか埋まらず、若者ばかりかと思えばお年を召されたおじさんおばさんもちらほらおり、どんな宣伝に惹かれて来たのか気になった。

開始数分でいかにも新海誠の序盤にフックとしてありがちな「多くは語らないけど映像美でストーリー匂わせとけ!」って感じの見た目重視なキャッチーシーンが流れた。きっとトレーラーに使うとこだろう。

そしてものすごい速度でカットが切り替わっていく。この速さはマス向けメディアではなくyoutubeのそれだ。完全に今どきの若者のスピード感。近くに座るおばあさん達が楽しめるか心配になった。

先に言っておくと、全体通しての僕の所感は「どうしてそこまでチープにするの?」だった。

ここからはかなりネタバレが入るのでご了承を。

配役が飲み会のノリ

序盤からメインキャラであろうという人達はすぐわかった。

というのもメイン声優が綺麗に揃った棒。針葉樹林。モブキャラのプロ声優達が喋る度プロの技術に涙した。

メインキャラを丁寧に棒声優で固める一方、劇中のちょい役にはアヤネちゃんとカナちゃんという小学生キャラが出てきた。

これがどう聴いても主役級人気美人声優の佐倉綾音と花澤香菜だった。よく言えば遊び心だが、そこで遊ぶ必要があったのか。

「あの二人の実名で幼女キャラにしようぜ!デュフフw」とか飲み会の悪ノリでそのまま決めたんじゃとさえ思う配役と登場キャラだった。

良い年した美人声優達に本人の名前を冠した幼女の声をやらせるところも新海誠が裏でデュフデュフしてそうで何とも言えない気分になった。

ただ、微妙に偽名なのだ。一瞬劇中映ったアヤネのフルネームは「花澤綾音」

うわうわうわ

幼女ですよ。花澤綾音ですよ。実名合体ですよ。

二人を混ぜよった新海誠。ゾッとした。発想が百合エロゲ。新海から声優を守る党を作りたくなった。

棒声優には本田翼もいた。許しがたい。さぞこの現場は楽しかっただろう。きっと僕が監督でもその隠し切っている才能を高く評価し無条件で音声チェックもせず本田翼を選んだ。

ちなみにこの本田翼のキャラはなんかとてもエロい。そしてスーツの就活生ときた。本当に新海誠は良い趣味をしている。

他のキャラも声優のキャスティングもあまりに雑だった。

例え話をすると、仮に僕らは文化祭の劇の準備をしているとする。今悪ノリで刑事役のキャラ名を何にするか話し合っている。

どうだろう。僕らの脳内にいるクラスのめちゃギャグセンス低いお調子者が「刑事の名前だし平泉成とかにすれば面白いじゃんwww」とか言ってないだろうか。僕の脳内ではサッカー部の男が言ってる。

そしてこの天気の子では、そう。そのまさかである。平泉成が重要な刑事役をマジでやっている。

どうしてここまでチープにする必要があったのか。

あまりに本筋を組み立てていくうえで合理性のないキャラ、配役、そしてそこから滲み出るノイズが作品への没入感を終始削いでいく作品だった。

僕は1400円かけて新海誠が好きな人を集めたお遊戯会を観に来たつもりではなかった。

そして意味ありげに君の名はの声優も一瞬使われる。内容をないがしろにして宣伝効果を取りに行ったシーンに見えた。

声優だけでもこれくらい色々思うところがあった。

小学生が夏の自由研究で作った漫画

内容の方も新海誠過ぎた。

ジブリやギャルゲにいそうな感情起伏豊かなヒロインが、あんたバカァ?!と言わんばかりに気持ち悪い!と主人公を蔑み、そうかと思えば、数秒後には主人公のホッペを触り「大丈夫?」とか言ってる。

支離滅裂すぎて一瞬寝たのかと思った。サイコパスすぎる。

ひと言で表すと、新海誠の好きなアニメキャラを寄せ集めたキメラみたいなヒロインだった。

ちなみに服装は袖なしパーカーに小さいリュックで髪は2つ結び。ポケモントレーナーと言われても僕は疑わなかった。

本田翼のキャラもそんな感じ。軽快なBGM、ペンギンの代わりに猫がいる部屋で冷蔵庫開けながら話す日常シーンは、さながらエヴァのミサトさんのようで、家出した主人公の心を埋める母性、姉御肌的なキャラだった。

しかし、かと思えば「今胸見たでしょ?」みたいな低俗なやり取りをしてくる。しんどい。この作品を見ている自分、という事実が恥ずかしくなった。

前作君の名はもそうだったが、新海誠の描写は「それわざわざいる?」というような性的な表現が多く、童貞感がすごい。

ミラノ風ドリアの心構えで入ったサイゼであん肝ポン酢を出された気分。今はそれじゃないんだ。

思えば前作でも無駄に性的描写は多かったし、口噛み酒の描写に異様に力入ってたり。

元々エロゲー界隈出身の人ということもあってか、拙いストーリーと極めて個人的なフェティシズムを、映像美と音楽で誤魔化しているように見えた。

これほど情景描写と童貞描写に長けた男が大人気の日本は、どれだけ作画力で中国が追いつき追い抜こうと真似できない唯一無二のアニメが作れるはずだ。日本アニメ業界の未来は明るい。

ちなみにここまで言っといてなんだが、新海誠がかつてOPを作ったefというエロゲはアニメ化されており、浪人中僕は見て感動した。新海誠大好き!

胃もたれするあざといシーン祭り

後半は本当に「ぼくのすきな映画シーントップ10!」ってな具合にキャッチーなシーンの羅列だった。

フォレストガンプのようにひたむきに走る主人公を追尾して撮り続けたり、クレヨンしんちゃんのオトナ帝国のように階段かけ上がる暑苦しいシーン入れたり、ここは任せてお前は先に行け!とばかりにわき役達が全員集合して犠牲になったり、

他にもサカサマのパテマのように落ちていく最中で逆さまに地上を見た自然美のシーン入れたり、千と千尋みたいに滑降しながら手つないで感動的な再会してみたり。

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多分この辺の作品とアニメ『凪のあすから』と洋画の『デイアフタートゥモロー』か何かのシーン集めてMADにすれば上手いこと天気の子の概要を説明できると思う。

というか凪のあすからをすごく観たくなった。ストーリーも作画も音楽も声優的にも凪のあすからを観れば良い気がしてくる。

海の中と陸に2種類の人がいる世界、恋愛をメインテーマとした物語だった。神にお願いして「ぬくみ雪」と呼ばれる気象現象を止めてもらわないと人々が凍えて動けなくなってしまうので儀式したり、生け贄の人柱を捧げるような話だった気がする。

あれ、なんか似てね。今あらすじ説明していてどっちの説明しているのかわからなくなった。

ヒロイン花澤香菜だし。なぎあすもちゃんと幼女やショタ出てくるし。天気の子もヒロインの弟の名が凪だから余計ややこしい。

ちなみにP.A.WORKSの作品であり、海や天気、町の作画や空を泳ぐような魚達の絵にはとても評判があった。

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凪のあすからの作画

天気の子は全体的に重たい。あざといドヤァと言わんばかりセリフカット、シーンを物凄い量たたみかけてくる。おせち開けたら全段エビフライみたいな。そこまでいくと嬉しくない。

そして相変わらず2,30分に一回定期的にここで感動して!と言わんばかりに壮大な音楽に乗せRADWIMPS野田洋次郎の声が響き渡る。

もはや様式美、伝統芸能。よく売れない芸人のコントでも落ちで感動に走り突然中島みゆきを流したりするが、あれを思い出す。

新海誠がやりたかったことは

ふとこれが楽しめているのか心配になり、2つ隣に座っている見知らぬおばあさんの顔を確認した。

やばい。

感情から解脱した仏の顔をしていた。

はて、あの顔にはどこかで見覚えがあった。

そうだ思い出した、高校の学園祭だ!

高3の学園祭で、無責任にも「池田でいいじゃん」などとクラスが僕に主役脚本台本配役全てぶん投げたためヤケクソでやりたい放題作った劇。それを観て終始ポカンとしていたご父兄各位のそれだった。

ちなみに内容は

「2020年、増え続けるEXILEメンバーがついに人口の3分の1を超え、誰でもライジングサンと唱え踊れば極楽浄土へ行ける、と吹聴して廻りEXILEが宗教と化した日本で、笑う感情を失った主人公が体制に背いて本当の自分を取り戻す旅に出る」

というあまりに荒唐無稽で全方向に失礼なディストピアコメディだった。ご父兄のリアクションは至極当然である。

劇中で脇役が「くつひも結んでいい?」と言ってポケットからひもを取り出しゼロから靴紐結んでキャスト全員3分間無音で棒立ち待機するといった演者も観覧者も心臓に悪いどシュール、狂気に満ちた劇だった。

今考えるとあんなものすら表現の自由と言って許可してくれた高校には感謝しかない。

天気の子を観ている最中、僕はあの時自分が独裁政権で行った悪ノリ、内輪ネタ、安易な配役、超適当なBGM挿入歌の入れ方、その全てを思い出し、ノスタルジーに駆られていた。

そこで気づいた。

「待てよ。ひょっとして新海誠は今、このフィルムを通してやり損ねた学園祭をやり直しているのでは?」

そう考えればこの執拗にチープな作品全ての辻褄が合う。

だってそうじゃないか。

あれほど日本で評価されている映画監督が、映像にこだわっている一方で、声優の内輪ネタで遊んだり、棒声優ばかり機用したり、パロディのような配役したり、安易なシナリオで唐突に鉄砲バンバンやってドタバタしたり、ありがちな感動シーンこれでもかと詰め込んだり、

中身をないがしろにするはずが、ないじゃないか。

いや、そうに違いない。これはわざとだ。

良い意味で、きっとこの学園祭の劇のような作品を通じて彼は、僕らに高校生の頃を思い出させようとしてくれているのではないか。

少なくとも僕は、後半映画に集中できず懐かしい高校の思い出に浸ることができ1400円の価値があったと思う。

きっと映画という装置を通して、個々人の青春時代の追憶へと誘うことが巧妙に意図され仕組まれていたのだ。

なんということだ。表面的に酷評していた自分が恥ずかしい。

やはり新海誠は天才だ。令和No.1の映画と言える。

ぜひ皆一度、この作品を観ることをオススメする。