三浪の忘れ物サミット

世の中の忘れそうな、わざわざ考えるほどじゃないことだけ真剣に考える

もうすぐ三浪の就活が終わる

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長く果てしない道のりだった。

6月2日日曜日に某大手の一次面接を受け、当日も、翌日も電話はなく6月4日、僕は絶望していた。

選考の終わり

4次まで選考があるかもと聞いていた。まさか1次で落ちるとは思っていなかったので自分の愚かさをひたすら内省する2日間となった。

6月1日に面接入れないと志望度低いと思われるとか、知らないの自分だけだった。後期出願日程間違えて三浪した時と同じ気持ちになる。周りに人がいようがいまいがいつも情報難民。

実は、4月以降1社しか見ていなかったので、この面接で僕の就活の選考は全日程終わりだった。

鳴らない、ツイッターの通知しか来ないスマホを見る僕の頭にふとちょっとした走馬灯がよぎる。

「この1年何をしていたのだろうか」

3年夏~秋の走馬灯

昨年、大学3年の6月、僕はいちご大福研究会の代表を引退した。そこからは、サマーインターンに向けて自分のやりたい仕事や業界ってなんなんだ、とか悶々としていた。

そんな中で一番心に残ったのは、奇しくも今、過重労働や賃金未払いで話題になってる某●ロムスクラッチさんの6月に行われたインターン選考だった。

今の自分には特にしたい仕事もなく、自分探しの旅に出ようか、などと妄想していたが、フ●ムスクラッチ代表は参加者全員の前で「自分探しではなく自分作りを」と言っていた。死ぬほど心に響いた。

「どうせ君達、大学で大したことやってないでしょ。ない過去を振り絞っても何も出てこない。だから、これから頑張って。最強になった君達とまた冬、会えることを楽しみにしてる。」

そんなことを言われた。今考えるといかにもフロ●スクラッチ代表が言いそうなことだが、そんなことはどうでもよく、誰が言ったかなんて関係なく、僕にとってとても価値を見出せる言葉だった。

そこから、選り好みせず経験を積もうとサマーインターンは星の数ほど選考参加して、お星様になった。結局参加できたのは日系コンサル、大手新聞、広告ベンチャー、せいぜいその程度だった。通過率15%といったところか。

今の自分ではインターンすら通ることができないと思い、某広告ベンチャーの1dayインターンに参加した際、ここで長期インターンさせてほしい、と直談判し、その場で急遽面接、働くこととなった。クリエイティブに憧れ、何かを創り人々に効果的に伝えることを深めたいと思ったためであり、僕なりの自分作りだった。

今考えると、僕は行動力系ではなくネチネチ先に考えるけど結局動けないどうしようもない系なので、あの時の自分がなぜそんな行動を取れたのかいまいちよくわからない。頭の中で「行動力なさすぎ!」と誰かの声が聞こえた気もするが、確実にその経験は僕の幅を広げてくれている。

その長期インターンでweb広告の運用や、サイト改善を行う中で、数字として自分の成果が目に見えて出るようになり、珍しく自信がついた。その成功体験のおかげもあって秋冬のインターンはそこそこ上手くいった。もちろん結構落ちたけど。

これが自分作りか、とフロム●クラッチ代表を思い出した。感謝してもしきれない。

ちなみにフロムス●ラッチの選考は受けなかった。そもそも何の会社だかいまいちわかってない。

3年冬~早期選考の走馬灯

しかし、冬場の僕はメンタルが逝った。年を越すと、茶髪の人が増え始めたのだ。忘れていた。僕の周りは、それはそれは優秀な人が多かったのだ。優秀そうだなとは思っていたが、本当に優秀だったことをまさに抜群なタイミングで思い知らされた。

「インターンで内定もらった」と言い出す人、外コン勢、ベンチャー勢。ツイッターの質問箱には「どうして池田さんは内定もってないんですか?」と毎日のように匿名で素朴な煽りが来るようになった。

病み期だった。受験期×3を思い出す。

焦ってとりあえず本選考を受けた1月、初めてのお相手は某スマホゲームベンチャーだった。あれよあれよと選考は進み最終選考になった。僕だって内定取れるはず!という妙なおごりがあった。そして遅刻してきた役員に15分程度ほとんど興味無さそうに話され、落ちた。

就活はクソ、と心から思ったが、今思えば僕のおごりが見抜かれていたのだろう。そもそも志望理由も存在しなかった。本当に行きたいと思える企業以外受けるのやめようと思った瞬間だった。

この1~2月、僕はテスト期間も気にせず無限にベンチャーの説明会や1次選考に参加したが、これだ!と思える企業はほとんどなく、人気ベンチャーの多くは3月までには選考を終えるため、ひどく焦っていた。

そして3月、やっと、本当に行きたいと思えた、心から惚れたベンチャーから内定をいただいた。三浪でも内定貰えるのかと改めて感動した。この御社については本当に大好きで、どんな会社よりも素敵だと思っていて、現在も就職先候補として悩んでいるので、後日改めて書きたいと思う。

その数日後、つい先日革新的な操作性のコラボタイトルリリースの発表で株価ストップ高になった某スマホゲーム会社、あと某大手広告代理店のデジタル広告会社から内定を貰った。

スマホゲームの会社は3月中に承諾するか決めろと言われ、胃が痛くなった。採用人数が少ないためかなり裁量を持ってゲームを作れる環境だったのだ。

思えば小さい頃から人に楽しんでもらう何かを創ることばかり考える人生であり、自分以外の全員がクリエイティブ系の家族の中で、自分だけ何も生み出せない人であることが小さい頃からひどくコンプレックスで、アイデンティティーの不在で、だからこそ作曲へすがっていた一面もあり、最終的にお断りすることとなったがエンタメへの憧れを捨てることは容易ではなかった。

就活は内定を複数持った後の方が辛かった。カードを選ぶのも苦悩だし、何よりお断りするのが本当に苦しい。こんな気持ち二度と味わいたくないと思い、無闇に内定は取らないと決めた。

ちなみにこの頃、某大手新聞社もサマーインターンに参加した関係で選考受けたが、爆速で落ちた。選考を通過した他の参加者は「うちすごいタテ社会だけど大丈夫?」などと聞かれたようで、自分は落ちて当然だと思った。僕だったら「無理です!」と笑顔で卒倒していただろう。

余談だが、僕はお金のために生まれたわけでもないし、家族養うために働くという、「目的を自分に置いてくる働き方の親を見る子どもは本当に幸せな気持ちになれるのか?」という疑念があり、もし自分に子どもができたら「池田の夢追ってる姿を見せてくれよ」と弊子どもに思われそうな気がするので、自分で若いうちからやりがいと意志を持って、社会に価値提供できる人になりたかった。

そんなこともあり、多くの大手はやはり新卒採用において自分には向いていないと悟り、4月以降某ベンチャー気質のキツそうな大手1社しか受けなかった。

4年春の走馬灯

4月。周りが大手の就職活動を始める中で、自分は延々とその1社のメンターさんと面談を繰り返していた。以前参加したインターンの関係でついていただいた。

とはいえ、そこまでする?というほど、面談をした。5月末までで12回くらいだろうか。そこまで面談するってどれだけ池田なんかにお金かけてくれてるんだ?

と思いきや、5月中旬には「君、3年間部屋に居たせいでコミュニケーション変だよ。いずれビジネスでやっていけなくなると思う。あと間が変。人に壁作るのもやめな。ネガティブぶるのも、それネガティブじゃなくてただ自己防衛してるだけだよ」などとコミュ障認定や人格に到るまで様々な指摘をされ、僕の心は空中分解した。ぶっちゃけ悔しいけど自分自身自覚があっただけにいっそう心にきた。

こんな気持ちになるなら3月で就活やめときゃよかったと心底思った。

が、そんな矢先に早稲田大学の100キロハイクという延々自分の限界と内面に向き合うイベントに某タク●ツカモトのせいで参加するはめになり、不幸にも、ものの見事に「参加してよかった」と思ってしまい、自分という人間を変えてやろうという気持ちになったのだが。

そして、そんな心持ちの中で、6月、今を向かえ、全く手ごたえのない面接をしてしまい、こんな走馬灯が延々とフラッシュバックしたのだった。

面接中も、「うわ全然刺さってない。」「もっと要点つまんで話さないと・・・」「この成功体験再現性ないよな・・・」「いちご大福研究会の内容くそ興味無さそうだ…」「webマーケの専門的なことどう伝えたら…」「なんでもっと挑戦してこなかったんだろう…」

などと、口は止めずに言葉を紡ぎつつも、頭の中では終始敗戦ムードだった。

「この1年何をしていたのだろうか」

延々頭を巡る。1年どころではない。2年、3年、浪人中、高校、中学、僕は何をしていたのか。

リクルーターとの反省会

そんな面接後のお通夜ムードが2日続いた後、リクルーターから電話が来る。

「面接の振り返りだけしようと思うんだけど、どうだった?」

僕「全然ダメでした。まぁそれもまた自分だと思うので、悔いはないです。本当にお世話になりっぱなしで、ありがとうございました。」

「そうか。具体的にどんなとこがダメだった?」

この人は、何のために白旗挙げてる三浪の傷をえぐるのか。と驚いたが、そこからは延々、僕なりの面接の分析を淡々と行った。

「なるほどね。それは確かにまずかったね。次あったらどんな改善する?」

この電話に何の意味があるのか。次の選考がなければ何の役にも立たない会話じゃないか。

僕「そうですね。もっと再現性を担保するためにもどういう仮説を持って、具体的な行動に移していったか追体験できるようにすべきですね」

「なるほどね。いいじゃん。」

いいのか。

「あ、ごめん順番間違えて言い忘れてたけど、面接合格です。」

・・・ん?何を言ってるのかよくわからなかった。

僕「ふぁ?!え、あ、ありがとうございます?」

あれでも一次選考は通ったのか。

僕「次の選考いつですか??」

「あ、いやもう終わり。おめでと」

終わった。まさかの面接1回で内々定だった。コミュ障認定はなんだったのか。どれだけメンタルやられたことか。僕の4000文字の走馬灯を返してほしい。

結局、インターンも本選考も無限に落ちたし無駄足になった説明会も無限にあったが、結果だけ見れば、僕の就活は僕の中ではわりと上手くいった。少なくとも世の中の三浪達に「三浪でも良いとこ内定貰えるぞ!」と安心してもらえるくらいには上手くいっただろう。

でもそれは結果に過ぎない。正直、結果よければすべてよしと言える心持ちではないのだ。この1年間で僕の中に強く湧いた気持ちは、「自分を変えたい。もっと成長したい。」だった。

おそらくこれからも僕は腑抜けた生活をしたら「この一年間何をしていたのか」なんてことを思って結局自分に嫌悪してしまいそうなので、就職先は多少辛かろうが自己成長を感じられ、できることを、自分の幅をどんどん増やせる企業に行こうと思う。それがあの100ハイを通じて感じたような、僕が唯一自己肯定感を持てる、ポイティブかつ幸せに生きられる術なのかもと思う1年だった。

そしていつかは、成長した自分にしか生み出せないような何かを創り、社会に価値提供できて人に喜んでもらえたら、自分らしさに悩んでいた僕でもアイデンティティーを感じることができるだろう。

まだ就職先には悩んでいる。愛すべきベンチャーか、キツい大手か、長期インターンでも励み就活当初より自分に合ってると思っていたデジタル広告か。

どれにしても、こんな自己分析に近い自分語りのブログをちょいちょい書いたりする中で、入社後後悔のない選択に自分自身でしていけるような、そんな企業を最後まで考え抜こうと思う。

人生が決まっていく音がする。