三浪大学生でも生きているブログ

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私の新曲がスベった唯1つの理由(歌詞編)

こんにちは三浪です!

 

先日「平成最後の夏も何もしないうた」という新曲をツイッターで公開したので反省会します!

 

https://youtu.be/kFD1Odgl1ig

 

タイトルの通り不評で、「新曲良かった!」と言ってくれた人は4000回再生に対し4人でした。結果的に1000人に1人の共感者を発掘するためのインターンみたいな曲となりました!

 

ってことで不評の理由を僕自身が言い訳を交えつつ考えていきます!

 

1. 歌詞が微妙(致命的)

1って書きましたがこれに尽きます。

 

『水素満たして蓋して 記号の消費

嘗て無い表層の勝利』

 

で始まるんですが、早くも何言ってんの状態。

一応、水素水を揶揄してて、効果も何もないあれがシェア、共感自体に価値が生まれ流行ってしまう1つ平成の象徴だったなという。

 

でもそれだけじゃ歌の歌詞としては馴染まない。伝えたいことをただ伝えるのはお知らせ、意匠の努力を怠るのは歌じゃないダサい、というのが僕のエゴ、美学なので、H(平成)の終わりとH(水素水)の終焉を掛けました。

 

んでそれを元素記号とも掛けつつ記号の消費と言いました。水素という1つのコンテンツが消費され、かつ、時代の名前すら次々に変わりなんかもう消費だなぁと。その名前に込めた思いはどこに行ったのか、元々なかったのか。

 

あと掛け過ぎてぐちゃぐちゃしてますが、記号の消費という言葉はボードリヤールという倫理の教科書にも載ってるフランスの社会学者の言葉であり思想で、本当はそれと掛けてます。

 

現代社会はモノを記号として扱い、他者との差異化を図る道具として消費行動を行なっており本質的な課題解決の欲求による消費ではないと。

 

これら含めて2行にまとめた歌詞にしました。この曲は終始こんな感じです。

 

『形骸の弊害

ぶん投げた凄惨な清算

 

語呂いい、ってのも勿論理由ですが、そんな平成が残した薄っぺらさは僕らにそこはかとない虚しさを与え次の時代にもそれは継がれるだろうという。ぶん投げ、は去年作った曲でも歌った歌詞であり、その清算を自分もしてないという自虐でもあります。

 

『後悔の織りなす虹彩は合図

ノルかシラケるか 両成敗時代』

 

そこに憂う人(僕)もまた無数にいるが、アクションを起こそうと決めても、そんな流行にノろうが、逆にシラケた態度取ろうが、どっちも世間から何かしら言われる時代。結果ノりつつシラケつつでYouTuberなりたいと言ってみました。「ノリつつシラケる」というのも誰か小説家の言葉だった気がしますが忘れました。

 

『大方貼る子 切り貼り御免

規制強化 “W”の悲劇』

 

これは今は亡き、元々無きSTAP細胞です。

Wの悲劇は昭和の小説、映画ですが、そんくらい前時代的な騒動だったという皮肉であり、早稲田の盗用などが厳しくなった悲劇でもあるので早稲田の頭文字とも掛けました。コピペした時点で切り捨て御免の斬殺さよならですから。

 

『平成最後の夏も終わるうた

扇風機に声かけて溶かしてくだけ

余生最高の夏もうover forever?

「あの頃はよかった」って

Hell(o) Mr. Low Guy』

 

サビです。意味はまんまです。ハローとヘル(地獄、ちくしょう!)が紙一重なスペルだったので前後の文脈からoをカッコでくくりました。

 

『罰当たり屋 忸怩たるや デジタル嫌

輪廻する流行

失せる熱情

まぁ正味知らぬが仏っしょ

吝かに鬱~』

 

まんまです。あえて罰が当たりそうなこと自らやってバチが当たってキレてる現代人のことを当たり屋と罰当たりを合わせた罰当たり屋という造語でまとめました。アナログくらいの情報量がちょうどよかった、繰り返す流行についていくのにウンザリ、もう知らない方が楽なんじゃね、、、という歌詞で韻を踏み鳴らしました。そんな気乗りしない鬱、吝かに鬱〜を南無釈迦牟尼仏っぽく歌い、まさに知らぬが仏になってみた次第です。

 

『H(平成) He Li Be 元(素記)号が巡る邂逅のS etsuna

この懐古の虜めに後昭和ください!世~』

 

もう元号も消費、意味も考える暇なく変わっていくなら元素記号でいいじゃんという流れです。刹那をローマ字にしたのはSで昭和に帰ろうという懐古厨です。天皇が前の天皇リスペクトして後鳥羽とかつけたように、昭和に後つけて元号にしよう!ルネッサンス!ってジョークです。そしてこんな世も一本締めで景気良く次へいくわけです。

 

『終わる笑う跳ねる光る

終わらせない暗の咎 思想拉致』

 

これは平成時代と切っても切り離せないサブカルチャーです。笑う犬(皆が小さい頃やってた)、はねトビ、ピカルの定理、皆時代とともに終わり、一方で庵野冨樫空知さんのエヴァハンターハンター銀魂は終わらない平成でした。

終わらない状況を暗の咎や思想の拉致とdisるようには言ったものの、終わらないこと自体が1つのネタ、コンテンツとして愛されうるって素敵だなと思いますね。

 

『平成最後の夏も終わるうた

俗世に取り残され「バエ?」

虫除けの蟄居

畢竟何もしないで夏が終わる

とか去年も歌っていた希ガス


平成最後の夏も何もしないうた

どうだって良い記憶ばかり疼き出す春

そいやぁカールは関東では

終了しているらしい

賣買』

 

まんまです。

インスタバエというシェアの流行、記号の消費も家にこもって知らぬが仏です。蟄居は家にこもること(日本史では軟禁刑だった気が)です。蟄居って漢字に虫入ってたなと思って縁語的にも使いました。

夏なのに春ってのは単純に面白いなぁと、んで青春的な意味合いで使い、こんな社会に対する悩み、記憶も若者ゆえなのかなということであり、疼くに冬が入ってるので実際の時間軸的には季節超えていく感じあっていいなと。

 

カールの話を最後に適当にしたのはこの歌全体が戯言でしかないことを改めて思うとともに、一時代が確かに終わりゆく切なさを歌おうと。本当はレインボーアート、バトルドームチューペット、わたぱち、など何にするか1番迷った歌詞、菓子でした。

 

以上です。これらの言いたかった年寄りの思想を歌詞にまとめた結果、くっそ不評でした。妥当ですね。

 

不評な原因を簡潔に言えば、作り手が憂いを愚痴っただけ、聴き手のニーズを考えてなかったから。これですね。てへ。

 

次回は作曲編ということで、音楽好き向けにコード理論など作曲の観点からも反省(という名の言い訳)していこうと思います(懲りてない)

 

ご静聴ありがとうございました。